Xデザイン学校公開講座「文化とコンテキストとデザインを考える」に参加してきた感想


2019年10月25日に、Xデザイン学校公開講座「文化とコンテキストとデザインを考える」に参加してきました。Xデザイン学校とは社会人のためのデザイン学校で、デザイン思考やUXデザインなどを中心に教えている学校です。この公開講座はデザイナー向けの講座かと思ってましたが、エンジニアの方もおられたので、サービスデザインの考え方に興味がある方も参加してらっしゃるようでした。
いささか取り留めのない感想だったり、主語が大きかったり、(くたびれた)青年の主張のような記事なので、お忙しい方は読み飛ばしてください。



経営者や、開発をする立場の人にも聞いてほしいお話

私は、エンジニア養成学校のGs Academy Tokyoの週末コースでiOS開発の勉強もしていて、そこを卒業してまもなくのイベントだったので、もう少し早くこの講座が開かれてたら卒制の考え方の参考にしたのにと思いました。でも、すぐに、やはり学校の卒制程度できちんと取り入れるのも難しいと感じました。というのも、お話を聞いて「そうか、分かった。次からはこうする」という単純なお話ではないからです。
ちなみに、ここでいうデザインとは、視覚的なことだけではなく、日本語の”設計、意匠”という意味でのデザインの話だと思っていただいたほうが適切です。

Uberはソーシャルイノベーションにふさわしいか?

Uberは既存のロジックを破壊して、環境にやさしく、資源を使い過ぎず、次世代のためになり、さらにそれを続けていられる(サスティナブルな)社会を作ったといえるかどうか?人が豊かに暮らす一方で、二酸化炭素の放出や、人口増加が原因で、地球の寿命がどんどん近づいている。それを無視してイノベーションをやったところで、次の世代にその重荷を背負わせているのでは結局意味がないので、サスティナブルなイノベーションを実践するべきだ、ということです。

そう考えたとき、Uberや他のプロダクトは、はたしてどうなのか?そういうプロダクトを作るには、どういう考え方が要るのでしょうか?

それにはAの文化圏を持つ人々と、Bの文化圏を持つ人々の間にある意味を捉えた上で(コンテキストを共有して)、設計しないと、お互いが幸せになるのは難しい。
意味を探すデザインのほうが、ずっと難しい。

国際連合広報センターより https://www.unic.or.jp/

デザインを社会にどのように定着させるか

これを実践するためには、デザインを社会にどのように定着させるかが必要になってきます。でも、日本人はデザインもアートも苦手で、家にアート作品を飾る家は少ないし、未だにデザインの役割というのは、デザイナーが何かかっこいいお絵かきのようなものをすることのように捉えられていることが多く感じます。

カウナス工科大学のディレクターであるルータ・ヴァルサイティさんも仰られてましたが、プロダクトを決める人たちが数値だけで物事を決めることが、デザイン経営の上で、深刻な障害となっています。データに対してどう考えるべきかのキャパシティーが欠けている。デザインのように明確に言葉では言い表せないことを、決裁権を持つ人が、どれだけオーソライズできているかが重要になってくるのだと。
ちなみにリトアニアのカウナス工科大学には、デザイン学部はないけれど、学生全員にデザイン学を必修科目として教えているらしい。

あえて曖昧にしておくことの重要さ

曖昧性が必要なことだと先進国(日本が先進国かどうかはさておき)は認めているし、私は曖昧性を知っていた上で、表現するのもデザインの見せどころだと思います。
日本民族は新しく何かを作り出す、葛藤やコンフリクトを解消する逆転の発想をするのが苦手で、それよりも外国から来たものを、日本人である自分たちが使いやすいようにコンパクトにするなど、改良するほうがずっと得意な民族と言われています。
日本人は、海外のものがみんないいと思いがちですが、なぜ、どこそこの国から来たこのプロダクトがいいのか、本当にいいのか、私も含めて、あまりちゃんと考えてこなかったかもしれない。

シリコンバレーから来たシステムや考え方を、日本人がそのまま使ってもサイズが合わず、日本のドメスティックな考えだけでやっても、おそらくあまり面白くない。自分たちと違う構造の文化を理解した上で、UI/UXデザインに落とし込むデザインを、もう少し追求したいと思いました。もうデザインは、美大を出ていたり、Adobe製品を使っている職業の人だけのものじゃない。
そして、エンジニア養成学校を卒業はしたけれど、デザインとエンジニアリングを両立するのは、ちょっと無謀だったかもとも(笑)